2010年02月21日
絶景、梶原山もいけど、ここもいいよ。

ここどーこだ。
この画をみてわかるとは、
あなた相当の峠マニアで、通ですな~(^0_0^)、

富厚里の「だいらぼう」にあがると、視れます。
途中、注意してね。
落石で道路事情が悪いです。
車高の低い車だと、擦るかも、、、
--------------------------

もうひとつ、
ここね。
第二東名ができると、道の駅富士川楽座、みたいな楽市楽座(・・???できるらしい。
スマートインターですって、
場所は、、、、、、
斜面を削ってる土面がわかります?
右岸です。
ダイラボウ
追伸
ここに、平成1年?長田南小学校(ちなみに母校)小学4年生と記念植樹がありました。
いまだと、31歳ぐらいになってますかな?
2010年01月28日
良くなる
「良くなる」この言葉が生まれたのは、2002年でした。
それで、よくなる→良くなるネットが誕生しました。

治るという言葉に比例した意味をこめて伝えられる言葉はないかと考えていました。
良くなると、ありがとうございます。と言葉をもらいます。
感謝します。
2010年01月20日
回想、ブログを書き始めた日

ブログというものを、いつからはじめたのか、少し振り返ってみました。
◇これなんか、ブログの特性を調べたりした。
いろいろとしたのだなあーと、われながら関心する。
2005年04月25日
http://yokunaru.net/chiryo/archives/2005/04/blog.html
2005年03月28日
http://yokunaru.net/chiryo/archives/2005/03/index.html
◇ブログを知って、わたしがブログを始めた起源がここだった。
2005年02月21日
http://yokunaru.net/osugutto/archives/2005/02/index.html
読み返して、振り返ることも大切だなーと、思いました。
彼が、私にやってみない?と進めてはじめたのだ。
2005年01月09日
http://blog.tetto.com/archives/2005/01/index.html
原点回帰
2010年01月16日
自らの動きで、治療解決するのススメ

そのむかし盟友であったものが、昨日なくなったことを知った。享年51歳。
冥福をお祈りします
昨日は寒い朝であったが、その日脳いっ血で逝ったそうだ。
治療家の世界で、施術家ということで活動していた。
周囲の話しから察すると、重度の過労と急激な気候の変化が引き金か。
と推測する。
施術を重要視することを好む方向の人々は、、、、
・自らの動きで、解決する。ことを好まない。
・自らの動きで、痛みや歪みや疲れを解決解消するという方面には力を注がない傾向にある。
・自らの動きで、自立した身体へ取り戻そうとすることを軽視するように見受けられる。
仕手と受手(施術重視の方向)という考え方が、そうさせるのだと感じる。
施術で仕事をしている方は要注意である。
1996年より、痛い、歪んでいる、疲れているの課題において、模索と研究に取り組んだ結果、インナーストレッチ方式に、たどり着いた理由はここにある。
自らの動きで、治療解決するインナーストレッチ方式は、仕事でひとを死なせない。
2010年01月08日
マンダラートというツール
なにやら、興味あるツールがあることをCBサークルの仲間である164さんの進めもあり??、早速使ってみることにしました。
マンダラートは
グラフィックデザイナーの今泉浩晃によって創られました。
http://www.mandal-art.com/message/01.html
とあります。
わたしは、十数年以上フランクリンを使っていましたが、だんだんと、あわなくなってきました。
スケジュールタイム管理から、思考の整理に重点へ移り、いまは、
いまは、スケッチブックにマインドマップの手法で記録したり、年間予定表とタスク管理のツールを貼り付けて、自作のカスタム化で使っています。
では早速、
このマンダラートはを使ってみることにしました。
マンダラートは
グラフィックデザイナーの今泉浩晃によって創られました。
http://www.mandal-art.com/message/01.html
とあります。
わたしは、十数年以上フランクリンを使っていましたが、だんだんと、あわなくなってきました。
スケジュールタイム管理から、思考の整理に重点へ移り、いまは、

では早速、
このマンダラートはを使ってみることにしました。
2009年12月21日
なまえの由来、ネーミング
いままで、活動してきて、
いろんなところに、名づけをしてきたので、
そのことについて、触れたいと思っちゃいました。
「良くなるネット」2001年誕生
当時、顧客獲得実践会という組織で、たしか、有限会社楽しくなるという会社名だったかな、クレームがあっても、「はい、楽しくなるです。」と電話にでると、いやなクレーム電話でも、女性事務員も相手の方も最後は笑ってしまうというエピソードを覚えていたので、ホームページを再構築して作りなおしのときに、「よくなる」という言葉が浮かび、ドメインがnetを取得したので、漢字とひらがなとカタカナで構成したネーミングしたものです。
「オスグッド研究所」2002年誕生
自然形体研究所というのが、大半であった。
専門性を貫こうということで、だれも手がけていないかった分野がオスグッド病という問題解決の分野であった。「オスグット」とも呼んでいる人もいるが、オスグッド・シュラッターでは長いので、短くしたものです。
「からだの学校」2004年誕生
当時、V6のがっこうへ行こうという番組がありました。
それで、ひらがなと漢字の組み合わせがなかなか具合がよいので、決めました。
なかなかいいでしょ。
静岡市の関係でも
「地域シゴトの学校」って見かけたときは、おおぅーと思ったね。
ほかにも、なんとか○○○の学校って結構あるのよねー
「からだ回復センター」
あたらしいコンセプトで、伝えたいと考えました。
整体院でなく、なんとか研究所でもなく、
そこで、回復という言葉が出ました。
世の中に、視力回復センターというのが、あります。視力を取り戻すというところです。
訓練ですね。私のしていることも、健康な体を取り戻すということで、ある種訓練であると位置づけて、身体を健康な状態に回復する施設(センター)ということで、名づけました。
快福もありますが、同じ時に、快復と回復、病気を意識するか、元の状態に戻すかというので、分かれましたが、病気のほとんどは、病気というポジションで考えないということで、回復を選択しました。
2004年ごろ、だったかな
怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
黒川 伊保子 (著)を読んで意識して作ったのが、、、
からだの学校からの名称変更
「アカデミーボディスクール」です。
ひらがな→カタカナへ
そして、通称ABSというネーミングです。
講義中にアンチロックロックブレーキシステムという洒落で、話しているときに、ABSというロゴが生まれました。われながら、名づけがうまいな、と思ったときですね。
2002年から団体を作ろうと考えていました。
それがNPO法人ポスチャライズです。(いまは名称が変わっているでしょうね)
2005年に、姿勢健康診断士というのが作れないかとまじめに考えていました。
ポスチャライザーという言葉から派生して名称を作りました。
(なぜかカタカナが多いのにわれながら驚きます)
いまは関係ない会社ですが、名称由来のことについても伝えたい。
スリーオン
これは、スリーオンスリーというバスケのことから、と三つの音、三つの恩、そしてオン状態ということで、スリーオンとしました。意味あるんですよねぇ(T4w5だから)
あと、APPは簡単、approachの最初の三文字をつけたのです。
当時もなんでAPPなのか、いまも知らないひとが結構いるんじゃないか、これもベストなネーミングでした。
達人会
これは、1988年ごろ、小堺一機の噂の達人という番組があった。
いろんな達人を取り上げるので、治療の達人があってもいいだろうということで、名づけた。
深い意味はない。
ここからは、現行
スタイルQQやオスグッドQQ
QQはクオリティクイッケンつまり、品質高めながら治すという意味です。
姿美セラピー
体調を取り戻したり、ゆがんでいるひとや、器質疾患なども、形を整えるという観点から姿を美しい位置にSカーブの脊椎カーブや骨盤に取り戻そうということで、名づけました。
インナーストレッチ
インテリアデザインという言葉があります。「身体の内側から整え動かす」という考え方です。
身体をもとの体調に取り戻すのには、内から身体に働きかけることはできないかという方法を考えていました。そうだ、深層筋を動かすには寝る方法と座る方法で、解決できるということがわかりました。
それで、Sカーブ枕と15度の腰掛けと凸凹硬質治療台の組み合わせで、完成したものです。
以上。
続きを読む
いろんなところに、名づけをしてきたので、
そのことについて、触れたいと思っちゃいました。
「良くなるネット」2001年誕生
当時、顧客獲得実践会という組織で、たしか、有限会社楽しくなるという会社名だったかな、クレームがあっても、「はい、楽しくなるです。」と電話にでると、いやなクレーム電話でも、女性事務員も相手の方も最後は笑ってしまうというエピソードを覚えていたので、ホームページを再構築して作りなおしのときに、「よくなる」という言葉が浮かび、ドメインがnetを取得したので、漢字とひらがなとカタカナで構成したネーミングしたものです。
「オスグッド研究所」2002年誕生
自然形体研究所というのが、大半であった。
専門性を貫こうということで、だれも手がけていないかった分野がオスグッド病という問題解決の分野であった。「オスグット」とも呼んでいる人もいるが、オスグッド・シュラッターでは長いので、短くしたものです。
「からだの学校」2004年誕生
当時、V6のがっこうへ行こうという番組がありました。
それで、ひらがなと漢字の組み合わせがなかなか具合がよいので、決めました。
なかなかいいでしょ。
静岡市の関係でも
「地域シゴトの学校」って見かけたときは、おおぅーと思ったね。
ほかにも、なんとか○○○の学校って結構あるのよねー
「からだ回復センター」
あたらしいコンセプトで、伝えたいと考えました。
整体院でなく、なんとか研究所でもなく、
そこで、回復という言葉が出ました。
世の中に、視力回復センターというのが、あります。視力を取り戻すというところです。
訓練ですね。私のしていることも、健康な体を取り戻すということで、ある種訓練であると位置づけて、身体を健康な状態に回復する施設(センター)ということで、名づけました。
快福もありますが、同じ時に、快復と回復、病気を意識するか、元の状態に戻すかというので、分かれましたが、病気のほとんどは、病気というポジションで考えないということで、回復を選択しました。
2004年ごろ、だったかな
怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
黒川 伊保子 (著)を読んで意識して作ったのが、、、
からだの学校からの名称変更
「アカデミーボディスクール」です。
ひらがな→カタカナへ
そして、通称ABSというネーミングです。
講義中にアンチロックロックブレーキシステムという洒落で、話しているときに、ABSというロゴが生まれました。われながら、名づけがうまいな、と思ったときですね。
2002年から団体を作ろうと考えていました。
それがNPO法人ポスチャライズです。(いまは名称が変わっているでしょうね)
2005年に、姿勢健康診断士というのが作れないかとまじめに考えていました。
ポスチャライザーという言葉から派生して名称を作りました。
(なぜかカタカナが多いのにわれながら驚きます)
いまは関係ない会社ですが、名称由来のことについても伝えたい。
スリーオン
これは、スリーオンスリーというバスケのことから、と三つの音、三つの恩、そしてオン状態ということで、スリーオンとしました。意味あるんですよねぇ(T4w5だから)
あと、APPは簡単、approachの最初の三文字をつけたのです。
当時もなんでAPPなのか、いまも知らないひとが結構いるんじゃないか、これもベストなネーミングでした。
達人会
これは、1988年ごろ、小堺一機の噂の達人という番組があった。
いろんな達人を取り上げるので、治療の達人があってもいいだろうということで、名づけた。
深い意味はない。
ここからは、現行
スタイルQQやオスグッドQQ
QQはクオリティクイッケンつまり、品質高めながら治すという意味です。
姿美セラピー
体調を取り戻したり、ゆがんでいるひとや、器質疾患なども、形を整えるという観点から姿を美しい位置にSカーブの脊椎カーブや骨盤に取り戻そうということで、名づけました。
インナーストレッチ
インテリアデザインという言葉があります。「身体の内側から整え動かす」という考え方です。
身体をもとの体調に取り戻すのには、内から身体に働きかけることはできないかという方法を考えていました。そうだ、深層筋を動かすには寝る方法と座る方法で、解決できるということがわかりました。
それで、Sカーブ枕と15度の腰掛けと凸凹硬質治療台の組み合わせで、完成したものです。
以上。
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2009年12月20日
稜線を上る 坂之上の雲
坂之上の雲
エンドロールの画面、
NHKを見ていて思い出した(記憶)ので忘れないうちに、書きたいと思いました。
むかーし、畑薙山を稜線沿いに登っていた(仕事で)ことがありました。
(当時)登山道としては廃道となっていての獣道状態でした。
(これについては、また別の機会に。)
そんなことで、ある記憶がよぎった(思い出した)ので、紹介したいと思います。
司馬遼太郎の作品ですが、
間接的に縁を感じます。
30代のはじめ、
ハワイ島へダイビングへいきたくて潜りに行っておりました。
出会いは、司馬遼太郎の隣近所だったという女性です。
(岐路の飛行機)
座席は、がら空きで横並びの座席を、自由に使っていたのですが、このとき。
偶然、隣あわせの女性は、
何でもモアイ像を見たいということで、旅行者でした。
わたしも、気まぐれなダイバーですが、たまたま隣り合わせた彼女も興味るある人(女性)でした。
普通なら長時間を(寝て過ごす)機上の暇を持て余すのですが、、、、
なぜか、いろいろと話し込み、司馬遼太郎の本話になりました。
歴史が好きなところが、一致したというところでしょうか。
そしたら、この方京都の方ということで。
まあー、いろいろと、楽しく話し込んで、あっという間に、名古屋空港へ着いちゃった。
(空港ついたら、主治医と母親が到着口で待っていました)
そしたら、
彼女は、
骨髄バンクの設立者で、いまある命は、骨髄を譲り受けたひとのおかけでいまあるという方との出会いでした。
わたしが、「痛くない療法」に携わるわずか数年前の出来事でした。
エンドロールの画面、
NHKを見ていて思い出した(記憶)ので忘れないうちに、書きたいと思いました。
むかーし、畑薙山を稜線沿いに登っていた(仕事で)ことがありました。
(当時)登山道としては廃道となっていての獣道状態でした。
(これについては、また別の機会に。)
そんなことで、ある記憶がよぎった(思い出した)ので、紹介したいと思います。
司馬遼太郎の作品ですが、
間接的に縁を感じます。
30代のはじめ、
ハワイ島へダイビングへいきたくて潜りに行っておりました。
出会いは、司馬遼太郎の隣近所だったという女性です。
(岐路の飛行機)
座席は、がら空きで横並びの座席を、自由に使っていたのですが、このとき。
偶然、隣あわせの女性は、
何でもモアイ像を見たいということで、旅行者でした。
わたしも、気まぐれなダイバーですが、たまたま隣り合わせた彼女も興味るある人(女性)でした。
普通なら長時間を(寝て過ごす)機上の暇を持て余すのですが、、、、
なぜか、いろいろと話し込み、司馬遼太郎の本話になりました。
歴史が好きなところが、一致したというところでしょうか。
そしたら、この方京都の方ということで。
まあー、いろいろと、楽しく話し込んで、あっという間に、名古屋空港へ着いちゃった。
(空港ついたら、主治医と母親が到着口で待っていました)
そしたら、
彼女は、
骨髄バンクの設立者で、いまある命は、骨髄を譲り受けたひとのおかけでいまあるという方との出会いでした。
わたしが、「痛くない療法」に携わるわずか数年前の出来事でした。
2009年12月07日
2009年11月28日
得徳を解く (とく鍵)
「初志貫徹」よりも「朝令暮改」の精神のほうが大切。
「違うよ。 どんな逆境、どんな大きな変化の波の中でもたくましく生き抜いていける人が一番立派なんだよ。」
と、、こんな話しを聞きました。
なんでも、
・生物の進化の過程を見てもわかります。どんなに屈強な生き物でも、変化に順応できないものは絶滅します。
逆に、どんなに弱々しく見える生き物でも、変化に順応できたものは氷河期でも地殻変動でも生き残って進化してきました。
・私たち中小零細企業は、恐竜というよりは昆虫やエビや魚に近い存在です。
ある意味、恐竜のような大企業よりも、変化に順応しやすく強いはずではありませんか!?
といういう話です。
う~ん、なるほど、、、、

そこで、わたしは、適応するよう、考えました。
度重なるスケジュールの変更や調整と考えをまとめるのに、通常の小さな手帳では間に合わないし、フランクリンのようなシステム手帳だと、がさばって、、動きがとれない。(最近大きくなって、、ものぐさになりました。)
そして、完成したのが、
・アイディアと打ち合わせが書き込めるスケッチブック
・数年間の予定が一度に見られる予定表
・週間タスクの書き込めるシート
・何でも括れるゴムバンド
幾多の知識 → 知恵にすると、物事に適応した本人に会うコンパクト化が可能になりました。
「違うよ。 どんな逆境、どんな大きな変化の波の中でもたくましく生き抜いていける人が一番立派なんだよ。」
と、、こんな話しを聞きました。
なんでも、
・生物の進化の過程を見てもわかります。どんなに屈強な生き物でも、変化に順応できないものは絶滅します。
逆に、どんなに弱々しく見える生き物でも、変化に順応できたものは氷河期でも地殻変動でも生き残って進化してきました。
・私たち中小零細企業は、恐竜というよりは昆虫やエビや魚に近い存在です。
ある意味、恐竜のような大企業よりも、変化に順応しやすく強いはずではありませんか!?
といういう話です。
う~ん、なるほど、、、、

そこで、わたしは、適応するよう、考えました。
度重なるスケジュールの変更や調整と考えをまとめるのに、通常の小さな手帳では間に合わないし、フランクリンのようなシステム手帳だと、がさばって、、動きがとれない。(最近大きくなって、、ものぐさになりました。)
そして、完成したのが、
・アイディアと打ち合わせが書き込めるスケッチブック
・数年間の予定が一度に見られる予定表
・週間タスクの書き込めるシート
・何でも括れるゴムバンド
幾多の知識 → 知恵にすると、物事に適応した本人に会うコンパクト化が可能になりました。
